京の街角 姉小路界隈ヨリ 31号

朝日新聞京都総局長 臼倉 恒介氏 近影

巻頭言

まちづくりと教育

朝日新聞京都総局長 臼倉 恒介 

町並み保存で思い出す、成城の町づくり

町並みの保存や環境の整備は、一筋縄ではいきません。「姉小路界隈を考える会」の活動を応援しつつ、私の知る町づくりの昔話をしてみようと思います。

それは、私が生まれ育った東京・成城の町づくりです。

成城町は、東京23区の西端、世田谷区にあります。大正時代の終わりごろの話ですが、私学の成城学園が学校を創るにあたり、武蔵野の雑木林だった土地を手に入れます。学園用地を除く土地を区画整理して、生徒の父母に分譲し、その資金で校舎を建てました。 学園と接する住宅街は、碁盤の目状に通りが行き渡っています。分譲当時、1戸あたりの区画は400坪または200坪でした。昭和の初め、かなり広かったと思います。

家々の垣根は生け垣とすることが、申し合わされました。将来の自動車社会を見越して、十字路に面した住宅地の角を落とし、見通しをよくしました。学園町で、子どもの交通事故を心配したのです。

また、緑化にも力を入れ、通りに桜の並木が植えられました。いまでこそ並木の植樹は新興住宅地で当たり前ですが、そのはしりのようなものです。学園正門前のイチョウとともに、季節を感じさせる並木に成長していきました。

私が生まれ育った昭和30年代は、初期の町づくりの空気が残っている時代でした。家々に緑は多く、桜並木で和菓子屋が桜餅用に葉をちぎって集める光景も見られました。

町と前後して、私鉄の小田急線が開通し、駅ができました。私が小学生の時、駅前にパチンコ屋が出店する話が持ち上がり、反対運動が起きます。学生の町、文化の町にパチンコ屋はいらない、と。

民俗学者の柳田国男、作家の野上弥生子、大岡昇平、横溝正史ら文化人・学者が多く住んでいました。東宝の撮影所があり、黒澤明監督や俳優の三船敏郎、石原裕次郎といった有名人もいました。住民の声に押され、パチンコ店は出店をあきらめます。 駅前に、果物と食料品を商う「イシイ」という間口の大きな店がありました。のちにスーパーになって、大化けします。全国にチェーン店を展開するようになり、その一つが、京都市営地下鉄四条駅の駅ナカにある「成城石井」です。

時代とともに薄れた理念

時代は変わり、私が大学生のころには、広い敷地の家が代替わりするたびに、小さく分割される光景が珍しくなくなりました。新築される家は、コンクリートの塀。敷地ばかり広くて、緑のない豪邸も見られました。敷地の角を落とした家は、消えつつあります。

実家のあった成城を数年前に訪ねたのですが、変わらないのは、桜とイチョウの並木だけ。住宅は、昔の趣も風情もなくなりました。何より「成城の町はかくあるべし」という理念が見えなくなりました。

町づくりの当初の思いを受け継ぎ、守るのは難しいことだと感じます。延々と、愚痴をこぼしてしまいました。

さて、姉小路界隈では、建築協定区域に続き、より広い区域で風俗営業法にかかわる出店の禁止などを盛り込んだ地区計画区域制度の実現に向けて取り組んでいる、と聞きました。建築協定区域のご近所よりも、多くの住民の共感を得る必要があります。そのためには、京都のこの区域がどういう町なのか、どうあるべき町並みなのかを、きちんと理解してもらうのが大切だと感じます。それが最後は、よりどころになるでしょう。

町づくりの特色を学べれば

子どもたちに教えることも、重要ではないでしょうか。私も、成城の町の歴史や特色について、小学校の授業で学びました。50年近くたっても忘れないのは教育の力です。御所南小学校や高倉小学校で京都の町について学ぶと思います。できれば、その中に、姉小路通のように、特色を出して町づくりをしている界隈があることも学べたら、将来につながっていくと思います。