姉小路Who's Who 第1回

平成十九年度京都市伝統産業技術功労者 伝統工芸士 蒔絵師 富永幸克氏

蒔絵というのは、漆器の表面に漆で絵や文様などを描いて、それが乾かないうちに金や銀などの金属粉を「蒔く」ことで、器の表面に定着させる技法です。あでやかで、やわらかく、つややかで、そして、どこかなまめかしく。漆の器からは、その金属光沢とは裏腹に、ぽってりと手に吸い付くような肌合いを感じます。ほんのすこし湿り気を帯びたような、他の素材にはない体温を感じるのです。手に取るひとの体温を、その肌に写しとってしまうような…。

黒髪の美人が艶然と微笑んでいるかのような蒔絵作品(どうしても女性性を感じてしまうのは私だけでしょうか)に囲まれて、訥々とお話しになる職人気質の富永さん。

その慈しむような、優しい筆づかいに、うっとりと眺めいった、なんだか贅沢な時間でした。

蒔絵のお話

蒔絵師 富永 幸克

一、漆器の特性

富永 幸克 氏

私は親父の代から蒔絵という仕事に携わってまいりました。つまりは私は二代目ですけれども、俗に言う脱サラ組でございます。一旦は会社に勤めまして、やはりこの仕事が好きであり、やりたいという気持ちがありまして、この世界に入った次第でございます。そういうことですから年齢的には六十五になるんですが、経験年数ということから言うと、三十二、三年ということで、若輩なのですが、その中で解っている範囲のお話を、ちょっとさせていただきたいと思います。

漆器というのは、みなさんご存知のように、漆の樹液を元にしてつくる工芸でございます。これは中国が発祥で、漆がたくさん育つ東南アジアでは古くから行われていた工芸やそうです。日本でも、縄文時代の頃には既に使われていたということが知られております。それは一つには漆には非常に優れた特性がございまして、漆を塗りまして、一旦乾きますと、非常に接着強度が強いんです。おまけにその表面は緻密で防水性にも優れ、薬品にもそう簡単には侵されません。そういう優れた性質がある上に、塗った表面は光沢があって、なめらかで、深い味わいがある、ぬくもりがある、漆の表面は非常に美しいという特性から、日本ではずいぶんと愛され、発展してまいりました。

漆はそれだけでも美しいのですが、その上に漆が持っております接着強度のよさや伸びの良さを利用しまして、漆塗りの表面に装飾を施す、つまり漆器をこしらえるということについて、日本は非常に発達した国でございます。従いまして漆器全般のことを英語で「ジャパン」と言うんですね(笑)。ちょうど中国の陶器が「チャイナ」と言うのと、並び称せられる東洋の代表的な工芸やと思います。そういう意味で私は誇りを持って仕事に携わっているわけでございます。

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二、蒔絵というもの

漆器ができあがるまで

制作工程としては、木地造り、塗り、加飾と分かれておりまして、木地造りというのは、木材から曲げ物、板物、挽物といったものをつくります。次の塗りというのがそれに漆を塗ることによって、素地を仕上げるわけです。そして最後の加飾という部分が、私どもが携わっている部分でして、「青貝」「螺鈿」「研出蒔絵」「高蒔絵」「平蒔絵」「消蒔絵」「箔絵」等の技法があり、この中の蒔絵と称される部分について、私が携わっている分野になります。ですから最終の仕上げですので、これで失敗すると今までの人の苦労が全部パアになるという大事なポジションで、重たいんですけど、それだけにやりがいもあるのではないかと思います。

蒔絵の歴史

蒔絵の始まりは奈良時代に遡ります。金属粉を漆の表面に蒔いた文様がはじめて出てきたそうで、これは末金鏤(まっきんる)という手法になりますが、これが蒔絵の源流とされています。そののち平安時代に入りますと、金粉を製造する技術が発展しまして、それに伴って、蒔絵の技術がぐっと発展してまいりました。その頃に「平蒔絵」「研出蒔絵」という手法が確立されております。ですから平安時代に、蒔絵がまずスタートしたと言ってよいと思います。その後、鎌倉時代に入りますと、「高蒔絵」と言いまして、ちょっと図柄を盛り上げたような、立体感を持たせた技法が発達しますし、室町時代には茶道の世界と結びついて、非常に優れたデザインが排出されます。この頃、蒔絵の技法の基本的ところは、ある程度完成されたといえるのではないかと思います。

その後、「高台寺蒔絵」や「光悦蒔絵」、「琳派蒔絵」と、ずっと京都で素晴らしい蒔絵の本流が形成されます。やはり京漆器というのは蒔絵の一番の中心であると思います。実際、地方の漆器産業は、京都で修行したといいますか、京都の職人が地方へ行ってそこで伝えていったという面がありますので、京都の蒔絵はやはり洗練されていて、お茶に通じる侘び寂びの世界といいますか、そういう味わいのある品物をつくってきております。その流れというのは、京都が王城の地であり、文化的にも非常に高い水準を保ってきたためでしょうし、そういう意味では私たちは誇っていい仕事をしているんやと思てます。

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三、蒔絵の手法のいろいろ

富永 幸克 氏

「消(粉)蒔絵」

では、蒔絵というのは、どんなことをするのか ── 大雑把なことを説明させて頂きたいと思います。

一番簡単なものは「消(粉)蒔絵」と呼ばれるもので、歴史的には一番新しい技法なんです。というのは、一番細かい粉末を使うもんですから、細かい粉末をつくる技術が一番最後になったということですね。細かい粉末ができて初めて「消(粉)蒔絵」ができたということです。これは漆で文様を描くわけですが、その漆が完全に乾くまでに、細かい消粉を蒔きつけるわけです。そうするとそれほど光沢はありませんが、蒔絵ができるわけです。蒔きっぱなしですから、これで終わりです。

最も簡単な蒔絵ですが、はんなりとした明るい蒔絵です。しかも価格的にも工程が少ないですから安いし、一番手に入りやすい蒔絵であると思います。私ら作業をする側から申しますと、蒔くタイミングが非常に難しいんです。非常に細かい粉ですから、あまり早く蒔くと、下の漆が蒔いた金粉の間から滲みだしてきて表面に出てきます。そうするとちょっと黒ずんできますし、むらができます。ですからそういうことのないような蒔き加減というのがありまして、極端に言うと、漆の層があって、その上に一つひとつの金属粉が一層で並んだら一番ええわけです。そのようにあまり早くてもダメだし、下の漆の層も厚くてはダメで薄くなくてはいけない。その辺のところが、私らが心がけるべきところでしょうか。

平蒔絵

その次に「平蒔絵」という手法があります。これは一番一般的な蒔絵と言えるのではないでしょうか。平蒔絵の工程は、まず漆表面に下絵を描きます。これは薄手の美濃紙に下絵を描いたら、その裏側からそれに沿って焼いた漆(焼いた漆は渇きが非常に遅い)で描きます。それを転写する相手に押して、その押したところに金粉を蒔くと、乾かない下絵ができます。我々はこの下絵を「置き目」、そして写すことを「置く」と表現しております。この「置き目」は一回留めておくと、何回も使えます。それこそ十回や十五回は十分使えるんです。

この文様が基本になって、今度はそこに「絵漆」で、縁を描いて中を塗りこみます。そして適当な乾き加減のところに、金粉を蒔きつけます。その蒔きつけるのには粉筒を使います。先が篩いになっていて、上から粉を入れ蒔いていきます。粉が比較的粗いものは粉筒を使い、先ほどの「消粉」もそうですが、粉が細かいものは真綿をきれいな形にして粉を付けて擦るようにして蒔いていきます。そして乾かします。簡単に乾くまでだいたい四時間くらいなのですが、次の作業にかかるには短い。まあ、一日か二日は十分に乾かします。

漆器を乾かすということ

この乾かすということなんですが、漆器で言う乾くというのは、空気中の酸素と漆が反応して酸化膜をつくり、それで硬化するんやそうです。つまり酸化を促進させることで乾かす。だから一つは温度、それから湿度が必要になります。この湿度と温度の加減で乾かすということです。「濡らしたところに入れて、乾かすなんて、おかしいやないか」と言われるんですが、実はそういうことなんです。そういう乾かすための容器を「室(むろ)」と呼んでいます。その中を濡らして、冬場なら暖めるものを入れたりして、室の中の温度と湿度のコントロールをして乾かします。

最近ではエアコンや除湿機、加湿器など色んなものがありますし、ヒーターも簡単に入りますから、そういうコントロールもしやすい環境になっていますが、以前はそんなことができませんでしたから、冬場になるとなかなか乾かないんですね。京都では冬場、気温が零度以下になることはざらですから、室の中を水でぬらしておくと、朝起きて見ると氷が張っているわけです。そうなると絶対に乾きませんから、やっぱり十度くらいが一番いいわけで、仕事としては春秋が一番しやすい。夏は逆に乾きが非常に早くて、極端な話、筆で描いていますと、次を描かないうちに、前のが乾いてくるというやりにくい状況なわけです。特に梅雨時というのが一番の難物です。筆というのは、漆をつけますと根元あたりまで吸いあがるのですが、これが置いておくと知らん間に乾いてしまっていて、筆がダメになるんですね。

昔は大抵、梅雨時になると、筆の一本や二本はだめにしてしまいましたねえ。室に入れて乾かすわけですけれど、これも完全に乾く前に金粉を蒔いて、それから十分に乾かします。十分に乾いた後、今後は透明な漆を塗りこみます。それをまた乾かします。この透明な漆で塗りこむことを、粉を固めるという意味で「粉固め」と呼んでおります。

漆を磨く

この「粉固め」の漆が乾きましたら、今度は磨きの工程に入ってまいります。磨くときには表面に薄く菜種油を塗ります。そして磨き粉として、鹿の角でこしらえる角粉というのがあるんです。その角粉でもって、手のひらで磨いてまいります。このとき、完全に光るまで磨くのではなく、ちょっと光ったなというところで留めなあかんのです。留めてまた透明な漆を塗ってまた乾かします。そして完全に乾いてから、また磨くんです。そういう工程を二回、三回と繰り返して、徐々に磨き上げることによって金属光沢が生じてくるわけです。これを一気にやってしまいますと、大抵一様にならず、ムラができて汚い表面になってしまいます。

磨くのは、手のひらで磨くんですが、粉が粗くなるとちょっと手のひらでは磨けなくて、炭を使うんです。炭と言うても普通の炭ではなく、椿の木でこしらえた椿炭とか朴の木の朴炭などが、まあ砥石になるわけです。それで研いで磨いていくわけです。そして適当に光ったなという手前あたりで留めて、透明な漆を塗って、また乾かして。その次の二回目からはまた手で磨くんですけれども。そんな状態にして粗い粉末の時は処理をします。ですから磨くということに関して、指の平や手の平を使うわけですから、指紋などは本当になくなりますねえ。手のひら全体から油気がなくなって、わたし、関係ないからええんですが、お札なんか数えられないですね(笑)。正月前など忙しい時はそんなふうになります。

そうして磨くわけですが、それで終わりではなくて、今度は「毛打ち」ということをやります。例えば笹の絵なら笹の葉脈や笹の軸などを描きます。やはりこれも絵漆で、細い線になりますけれども。そして同じようにまた金を蒔きます。そして乾いたらまた透明な漆をかけて、また乾かし、それから磨いて、やっとこれで一つ上りということになります。ですからやっぱり随分と日にちがかかるわけです。これが平蒔絵の工程になります。

研ぎ出し蒔絵

それから「研ぎ出し蒔絵」という手法があります。やはり同じように絵漆で文様を描いたあと、粉筒で金を蒔きます。この場合、研ぎ出しに使う粉は粗い粉でないとダメなんです。相当粗い粉を蒔きます。そして粉筒で蒔いたあと、透明の漆で粉固めをします。粉固めをした後、今度は文様のところだけでなくて、地の部分も含めて、全部漆を塗ってしまいます。その時に注意することとして、文様の粉よりも次に塗る漆の厚みの方が厚くなるように、ずっと塗りこんでしまうわけです。そして乾かします。ちょっと厚く塗りますから、十分乾かすには、時間がかかるわけです。で、十分に乾きますと、当然真っ黒になるわけです。

そういう状態で乾いたら、今度は炭でもって研いでいきます。真っ黒になったとは言え、どこに文様があるかはちょっと膨らんだりしているのでわかりますから、そこを優先的に研いで行くわけです。そうすると中から線に沿って、金がピカッと出てきます。最終的には全部磨くんですが、まず絵の所だけ先に磨いていきます。ところが問題はこの研ぎ具合です。上から研いでいくと、粉の直径に来た時が最高に光って金属光沢になるんですが、それを越しますとアッという間に光沢がなくなって、へたってしまいます。研ぎすぎでダメにしてしまうんです。大抵誰でも一度はする失敗なんですが、ちょっと手前で留めるようにして研いでいって、その時に下から絵が出るような形で、最終的には全部を研ぐわけです。

高蒔絵

「高蒔絵」は、文様に凹凸と言いますか、肉盛りをするわけです。あらかじめ色んな方法でもって、肉厚をつけます。そして出来たところへ、金を蒔いて、固めて、磨き上げて仕上げていくわけです。そうすると立体感のある図柄ができあがり、これを「高蒔絵」と称しているわけです。

肉合研出蒔絵

それから「肉合研出蒔絵」という手法があります。これは「高蒔絵」と「研出蒔絵」を使って、高いところから地までが均一にずっとなるような手法です。これは色んなテクニックを全部使うところから最高のテクニックということになるわけです。だいたい以上が蒔絵の手法ということになります。

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四、蒔絵の道具のいろいろ

富永 幸克 氏

良い筆が手に入りにくくなりました

さて蒔絵を施すにあたって、様々な道具があります。なかでも一番私たちが大事にしているのが筆です。蒔絵筆を大別すると、線を描く筆と中を塗りこむ筆、そしてもっと広い面積のところを塗りこむ筆と、だいたい三つくらいあります。線を描く筆を「根朱筆(ねずふで)」と言いまして、鼠の背中の毛を使った筆やそうで、漆もちが非常に良くて、長く線が引ける。漆もちが良いということは、肉厚の高い線なんです。だから私らはよく「つけがきく」と言うんですが、細い線を描くと、どうしても肉厚の低い線になるんですが、それが肉厚の高い線が描けるのが「根朱筆(ねずふで)」なんです。

ところがこれが最近殆ど手に入らない。というのは鼠の毛というのが難物なんですね。昔はよう舟鼠(舟の中に棲んでいる鼠)がええと言うてました。コンクリートの所にいる鼠は毛先が擦れてダメになるんやそうです。毛先が大事なところですから、潰れないということで、昔は舟鼠の毛が用いられたそうです。最近は聞くところによると、琵琶湖の葦に棲んでいる野鼠の毛がいいんやそうです。私らが筆屋さんなんかで聞くと、もうそういう鼠の毛は殆ど入らないそうで、前に入っていた物を、少しずつ使っていくくらいで、なかなか良い毛は入らないんやそうです。それから根朱かわりという筆があります。根朱筆は鼠の毛やから黒いんですが、これは白いんです。これ、猫の毛なんです(笑)。これはねえ、同じように描いても肉厚がつかない。でも最近はそれほど難しい仕事はないのが現実で、この筆でも十分仕事はできます。

蒔絵筆の特徴

蒔絵筆の特徴としては、先の部分が分解できるので、穂先の長さが調節できるということになります。ですから私らは筆を買ってくると、まず先を抜いて、適当な長さに穂先を調節して、それから使うようになるわけです。中を塗りこむ筆は丸筆というんですが、これも穂先が調節できます。丸筆にも大丸、中丸、小丸と、太いのから細いのまであるんですが、これも最近はなかなか良い筆が入らなくて、やはり先のところが生命で、最初のうちはきれいに塗れるんですが、そのうちに毛先が取れてくるんですね。刷毛目が残るような塗り方しかできないんです。漆はある程度粘性がありますので、置いといたら平坦にはなるんですが、それでも限界があって、なかなか良い筆が少なくなっています。最初はええなあと思ても、耐久性がないんですね。すぐにダメになる。そういう状況があります。それからもっと広い面積を塗るときは、刷毛で塗ります。俗にだみ刷毛と言うものがあります。大雑把に言って、蒔絵筆はこの三種類になります。

道具としては他に「爪盤」と呼んでいるのですが、パレットにあたるもの。それから蒔く道具として「粉筒」、篩の目の粗いのから細かいのまで色々あります。これは粉の粗さによって使い分けるわけです。

新しい道具

一方で、近代化している道具もあって、「今はあんなん使こてへん」というのがいっぱいあります。例えば漆を固めるとき、漆を綿に染ませて刷り込むんですが、昔は、そのあと和紙をよく揉んで拭いていたものですが、今は誰もそんなことしません。今はティッシュです(笑)。そんなふうにだんだん新しいものを使うほうが楽なことがたくさんあります。それから「置き目紙」は美濃紙でこしらえていたもんですが、最近は高いですし、美濃紙でないものを使っています。だんだんそういう風になってくるんでしょう。ただ筆だけはなかなかええもんには出会えません。

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五、蒔絵をもっと広げたい

蒔絵の体験授業

今ね、私らは小学校などに蒔絵の体験授業ということで、漆器組合から四〜五人が一グループになって、小学生対象に体験授業に行くんです。兎やとか椿やら伝統の図柄をこちらから用意して、小学生の人に描いてもらうんですよ。なかなか面白いですよ。お盆を用意して、そこに蒔絵を描くことが多いんですが、漆に似た化学塗料や真鍮粉を使って、ものすご、喜んでくれますねえ。

難しい問題

え、後継ですか? 後継については、難しい問題で、やりたいという若い人は実は結構多いんです。ところが、そういう人たちを受け入れる仕事先がない。希望する人はぎょうさんいるものの、受け入れる基盤がないもんですから、今はそのほうが問題なんです。やはり生活様式が変わってきまして、以前のようには、売れなくなったというのが大きいですねえ。このあたりの皆さんはお使いでしょうが、一般的にはお雑煮を召し上げるのに漆のお椀はなかなか使っていただけませんから。もっともっと、使っていただけるようになったら、いいんですが…。難しい問題です。

どうぞ皆さん、また、機会がありましたら、ご注文よろしくお願いいたします(笑)。

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