姉小路Who's Who 第5回

梶村工芸 梶村 秀男 氏

今回の姉小路にんげんマップにご登場いただくのは、ガラス工芸、梶村工芸の梶村 秀男さんです。

ガラス工芸を通じた人との出会い

梶村工芸 梶村 秀男

写真はじめに

今日は、僕のつたない話を聞きにわざわざお越しいただいて、ありがとうございます。去年十月に、谷口さんから是非お話をしてほしいと言われ、とうとう、今日という日が来てしまいました。どんなことを喋ろうかなと、仕事をしながら随分悩んだのですが、今日は、早くおいしいビールでもいただきたいと思って、そればっかり思ってきました。

今日は、ガラス工芸を通じての色んな人の出会いということで、お話しさせていただきます。

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ガラスとの出会い

私の家は、あの場所で観光のお土産の卸を、ずっと長いことやっていました。

お土産の卸の前、僕が小学校の時には、親父が京都に来てまだ間もない頃で、十年ぐらいはガラス屋さんでして、ご町内でガラスが割れたら行ってはめかえるという仕事を、ずっとしてきました。

そのうち、観光客が沢山訪れるようになって、親父も何か考えていたと思うのですが、ガラスでお土産を作ってみては? という風に思ったようです。

ガラスを使ったお土産づくりへ

額にガラスを自分で切って、そして、福井朝日堂さんのカラー写真を分けてもらって、それをはめて、嵐山とか清水とかに、観光地土産として売り始めたのが、お土産屋としての始まりです。

私も長男坊でしたので、親父がバタバタしているし、「なんとかしてやらないかんなあ〜」と思って。「やりたい ! 」と思ってこの世界に入ったわけではないですけど、親父の横に付いて、やってみようかな〜っと思ってはじめました。それからずっと、三十年近く、親父と一緒にやってきました。ちょうど、世の中の景気が良く高度経済成長で、そこに観光ブームもあり、修学旅行の生徒が、沢山来てくださいました。この御池通りにバスが止まって、この界隈にある旅館に宿泊し、そこから、朝になったらバスに乗って、あちこち観光するという光景を、ずっと見てきました。

やっぱり、あの時代はモノがない時代で、子ども達も見るもの触るのも全てが「欲しい ! 」という方が多かったから、色んな作品・商品を買って行ってくれました。良い時代を、ずっとそうやって過ごさせてもらったのですが、ずっと長いことやってきますと、「このままでいいんやろか?」と色々自分なりに考えるようになりました。

サンドブラストとの出会い、色々な人とのめぐり合い

ある時、ガラスを彫るという仕事があることを偶然知りまして、いろいろ調べているうちに、師匠というか教えて下さる方がいるということがわかって、すぐにお電話してそこに行き、しばらく教えてもらいました。すぐに技術が身について、作ったモノがすぐにお商売に結びつくというわけではないので、随分その時分は「自分の思っている通りにいかんなあ〜」と思いましたが、「やりかけたのですから、ちゃんとやらないといかん!」と言い聞かせながら、随分苦労しました。

でも、その中で色々な人とめぐり会い、出会いが始まりました。色々な方が力を貸してくれたり、知恵を貸してくれたり、そういう人々との出会いに助けられ、その都度それを自分のものとしていきました。それで少しずつ、「らしい」作品が出来るようになりました。「これならいけるかな?」と思うようになった時、偶然デパートの催しで「京都の物産を売るという企画に出てみませんか?」という話をいただき、初めて、恐る恐る出品させていただきました。

幸いにも、自分の作った作品への反応が良かったので、「これならこれからいけるんじゃないか!」と思ってやり進めていったことが、ずっと今もまだ続いています。

自分のひらめき、センスが少しずつ蓄積されて、良い方向に進んでいったような気がしますが、やはり、今までと違う、外の人とのめぐり会いによって、新しく色々なことを教えてもらったり、ヒントを与えてもらったり出来たことが、良い方向に進んだ要因であると思っています。

ガラスの行灯は、本体の木の部分を作る方がいらして、それも偶然、うちの前をふらっと通って、ひょこっと店に入って来たことがきっかけでした。話しているうちに、とても気があって仲良しになりまして、「こんなん作ってあげるわ、やらして〜」って感じから、この作品も出来上がりました。もしその方がその時に尋ねてきてくれなかったら、木の部分が出来ておらず、恐らくこの作品も出来てなかったでしょうし、たぶん、梶村工芸では縁がなかったのでないかなと思うくらい、素晴らしい劇的な出会いがありました。今も、その時の出会いは忘れることはなしに、いつも思い出しながら感謝しながらやっています。

ガラスへの色付け

僕は、小学校時代からすごく絵が好きで色々描いたらしく、1年生の担任の女の先生が、僕の絵をすごく認めてくれて、わざわざしばらく、その先生の自宅まで通って教えてもらいました。母親が絵をとっても好きだったので「先生がそない言ってるけど、行ってみいへんか?」という話をしてくれたのがきっかけで、絵を教えてもらうこととなったと思います。このような出来事で絵心が発達したのでは? とも思いますが、絵を真剣に勉強したわけではないし、絵に対しての認識はあまりなかったのですが、何十年か眠っていて、やっと絵と関係したことをやることになって「あ〜…昔、オレ、絵描いていたなあ〜」と、うまく結びついたように思います。

色を塗るときに、昔のやったことが、知らず知らずのうちに川の中から外へ出て行く感じで、自然に色がつけられる。ちょっとおこがましい言い方かもしれませんが、これはやっぱり、自分がこういう道に進むようになっていたのかなあ、と。

モノづくりの楽しさ

やはり、モノづくりは楽しいですね。自分の作ったモノが色々な方に受け入れられて、使って頂いて、そして「いいね」と感謝の言葉が返ってきた時に、すごく「やっていて良かった」とか、「いつまでもできたら」という気持ちが出てきて、充実した日々を送っています。

作品写真決して、どんどん作って売れるものではないし、一人で作るので沢山出来るわけではないのですが、コツコツとやることが自分の使命かなあと思っています。例えるなら、私は「うさぎと亀」の亀やなと。ボチボチ行ったらいいわ、と。その代わり、一つひとつ色々な方に喜んで頂けるものを、一つずつ心こめて作って、お納めして喜んで頂く、また、その作品を長く使って頂けたらなあ、と思っています。

デザインですが、僕は絵が言うほど上手ではないのです。ただ「はっ」とする発想とか、ひらめきでやっているだけですので、一から一つひとつ絵を描くことは正直ないですけど、色んな本を参考にしたり、自分なりの線とかモノの立体感の線を出して描いたりして、それをガラスに彫っています

作品づくりの工程

この作品は、砂をガラスに吹き付けるサンドブラストという方法ですが、僕達はエッチングガラスと言っています。

ガラスにマスキングテープという保護テープをまず貼って、デザイン画を貼ります、次に、ナイフでその線を一つひとつカットしていきます。それを機械の中に入れて、砂を当てて順々に彫っていく作業の繰り返しです。簡単な柄ですと、簡単な流れで出来るのですが、大きく細かい柄になりますと、その作業を何百回と繰り返して初めてひとつの柄が出来るというもので、どの作業をとっても失敗は許されないので、最初から最後まで気が許せないのです。最後の最後にちょっと気を許して、何かの拍子にガラスに穴があいてしまったりする場合もたまにありました。そうなったら、その作品はもうダメになります。今はそういうことはないですが、そういう苦い経験も、実は何回かしています。

彫ったところに、顔料を布や筆で塗ってコーティングすることもあります。今の店に改装する前の店は、平成八年に作ったのですが、その時に「こういう仕事もあるんだな」とご近所の方にも見て頂き、幸いにも、近所の方から沢山注文をいただきました。谷口さんが第一号に注文してくださったのですが、「谷口」と描いた白い文字のガラスがあります。恐る恐る収めたんのですが、今でも残っているので、良かったなあと思っています。他の方も、ちょこちょこっと買っていただいて、ほんとにあの時は「どないしようかなあ」と思った時もあったので、本当にうれしかったし、ありがたかったし……本当に嬉かったし、良かったなあと思っています。

ベニシアさんとの出会い・NHKでの作品の紹介

NHK番組 〜 一部抜粋 〜 梶村秀男さんのお話

作品写真
▲ 番組に見入る梶村さん
ナレーター :
梶村さんの店にはガラスを彫刻する工房がある。今作っているのはガラスの行灯。梶村さんが自らデザインした下絵をガラスの板に貼っていく…
梶村 :
トンボをイメージしまして。行灯を始めてから、未だに続けて、作らせてもらっているので、イメージにぴったり合うように何回も線を書き直して、1回、30回、40回描くときもあり、それで、ようやく自分のこなれた風合い、尖がった調子とか重なっているところとか …… そこまで細かく意識して、これならいいだろうというところまで突き詰めてそれが、大変しんどいんだけども、非常に楽しい時間でもありまして、できるかぎり自分で考えてやっております。
ナレーター :
しんどいけれど、楽しい。梶村さんは仕事について、そう語るには理由がある。幼い頃、実家はガラス屋を営んでいて、キラキラ光るガラスが好きだった。けれども、梶村さんが家を継ぐ頃には、土産物屋に転向。場所柄、順調だった商いは、やがて不況のあおりを受け、傾き始めた。
梶村 :
世の中、絶対というのはなくて、やっぱり時代の編成とともに、すごく環境も変わりましたし、この際、何か転換というかね、もしあの場面で決心してなかったら、恐らくチャンスとしてはなかったと思います。ぎりぎりの選択ということもありますけども、ちょうど満50歳でした。
ナレーター :
その時、あのキラキラ光るガラスを思い出した。そして、少年時代に夢中になっていた絵を描くことの楽しさ。この二つを組み合わせて、モノづくりをしてみたい。ガラスに、自分の絵を彫刻してみよう ── そう思った。50歳のとき、梶村さんはその技術をもつ職人のもとへ弟子入りし、5年間の修行をした。習得したのは、サンドブラストという技だ。ノズルから出る砂がガラスを研磨し、表面に凹凸をつけていく。左手は、砂を吹き付ける圧力の操作。これが、彫りの深さを決める。最初は、彫りすぎてガラスに穴を開けたこともあった。今では、彫りの深さを指の感触で決めることが出来る。砂を当てている時間や、当て方の角度で、仕上がりがまったく違うという。この技術を自分のものとし、店が軌道に乗ったのは、60歳の頃。それから、今まで7年間。手を抜かずに、一生懸命作ってきた。
色付けは、粉末の塗料をガラスに塗りこむ。色を塗り重ねるとき、ガラス板に光を当てて、何度も何度も確認する梶村さん。やっと出会った、一生の仕事。だからこそ、しんどいけれど楽しい。
梶村 :
1回より、2回。2回より3回という風に、重ねて塗っていくほうが色はきれいに出ますし、光が全然ちがう、良い具合なんですね。これは、苦しいですけどね … 一番いま、自分の納得がいくまで、いくように … 分岐点なんですよ、トンボがね。うまく飛んでくれればいいなというね。
ナレーター :
行灯に光をともすと、やわらかくて、どこか懐かしいトンボの柄が浮かび上がる。
梶村 :
ガラスって、やっぱり光との兼ね合いで美しくなる、そういう素材ですから、それをお客さんの目で見てもらって、「いいものできたね」と、そういう風におっしゃってもらうと、ああよかったなと。その瞬間が、100パーセントいいですね。

写真
▲ 録画を皆で拝見

質疑応答 ─ 録画番組を見て

写真 水まわしの実演▼ ベニシアさんが来たきっかけは何ですか?
一昨年前、ぶら〜っと店の中に入ってきて、ず〜っと作品を見て「こんなんできるんですね」「別注で好きな柄できますよ〜」っていう話をしたら、「そうですか〜」ってそのまま帰られたのですが、去年の夏に、今度は車で来て「ぜひ」とすぐに注文なさいまして、「どんな柄がいいですか?」と聞いたら「鳥と蝶々が、私は大好きです」とおっしゃったので、スズメと蝶々のデザインを考えまして、製作して納めに行きました。あの時はすごく喜んで、第一声が「めっちゃ嬉しいわ〜!!」って言われてね。」
▼ 光が広がって見えるのはガラスシェードのせいですか?光の通り具合で雰囲気があってベニシアさんのところのガラスのカバーは味わいが深いですね。
はい。やはり、ガラスは光との兼ね合いで美しく見えるものです。それが、ガラスの特徴です。光の量によってずいぶん変化もしますから、そういう意味で、ガラスならではの良さがあるような気がします。それが魅力ですし、私も、それが好きで作品を作っています。
▼ NHKの番組は、梶村さんのワンマンショーみたいな感じでしたね。
そうですね、すごく長い時間を使っていただいて、うれしいです。この番組は映像がきれいで、それが売りだと言っていました。この番組は全世界に放送されていて、こういう取り組みは、外国の特に女性の方には受け入れられて、素晴らしい番組ですねって、インターネットでベニシアさんのところに、色々送られてきているようです。
▼ この番組は、何回も再放送されていますよね。他にインターネットで番組を宣伝したり、まとめてリクエストで見られたり、英語で詩が出るなどもあると聞いていますが。
断片的な、ダイジェストにしたりしているようです。うちは、インターネットもウェブサイトもやっていないのですが、誰かが梶村工芸のガラスということで、載せてくれているようです。「ここか〜。やっと見つけた〜」って言ってきます。後は、NHKに電話して「お店どこですか?」って問い合わせがあったこともあるようです。
▼ 光をあてて、後ろを黒くして作品を上手く撮っていますね。
ひとつの作品を撮影するのに、5〜6人かかって二十分も三十分もかかって、撮影しています。大体、ガラスは撮るのが難しいようです。
▼ 遠いところからも注文がくるのですか?
去年の十月にNHKの放送があって、それからしばらくは、色々な問い合わせ連絡がありました。京都観光に来たついでに寄ってくれたり、色々な方が来てくれて、本当にびっくりしました。あんまり沢山来たので、やはりテレビの影響ってすごいな〜って思いました。

ガラス工芸と私

写真 水まわしの実演僕のガラスは伝統工芸でないので、そういう意味では気が楽ですけど、自分の作品が広っていくことはすごく嬉しいですし、これからも、体の続く限りやっていきたいと思っています。

偶然の流れで、ガラスに携わるようになって、今まで来ましたが、幸か不幸か、今でもなんとか続けられています。家内にも苦労かけ、かなりお尻をたたかれたことでなんとかここまで出来たのかもしれませんが、それも、今となってはありがたいなと思っています。

ガラスはやはり、光との兼ね合いで美しくなる、そういう素材ですから、それをお客さんの目で見てもらって、「いいものできたね」と、そういう風におっしゃってもらうと、よかったなと思います。

これからも体に気をつけて、精進していけたらなと思っています。そして、もっと人とふれあい、つながりを増やしていきたいなと思っていますので、今後ともよろしくお願いします。ご清聴、ありがとうございました。

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