姉小路Who's Who 第7回

「加藤重」とオーダースーツの「重太郎」 加藤陽一さんと菅野晴治朗さん

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姉小路高倉を東に入ったビル2階、紳士洋服店「重太郎」を訪れた。明るく静かな店内にジャケットや服地、ネクタイ・ボタンなど小物が並び、隅には古いミシンやスタイル画。古きよきダンディズムの発信拠点という雰囲気がただよう。

大正11年創業の「加藤重」三代目の加藤社長は繊維卸店経営の傍ら、学校の掃除などヴォランティアに取り組む。2年前にオーダースーツ店を開店した。大震災の後、福島から京都へ移り住んだ菅野さんは20数年の経験をこの店で発揮している。店の歴史やオーダー紳士服について、お二人のお話を伺った。

加藤陽一さん (株)加藤重 代表取締役

写真創業者から三代目まで

祖父は元々名古屋の出身です。祖父(加藤重太郎)が奉公先の福田羅紗屋から大正11年(1922)に独立して。早93年経ちます。 最初は七条烏丸西入ルで店を構え、その後富小路三条に移りました。

戦争がはじまり戦時中は丹波に疎開していました。戦後に再開してお父さんが跡を継ぎ、寺町御池西入ルの北側へ。今の姉小路へは私が幼いころに来たと思います。戦前は大家族で、丁稚さんもたくさんいて、大きく商売をされていたと聞いています。

祖父は東本願寺の前の噴水に参拝客が(お供えに)放ったお米をすくって集め、それを炊いて食べた(笑)、魚も家族は頭と骨を食べたりして、質素倹約してお金を貯めたと聞いております。その反面、寄付はよくされていたそうです。母は高校三年生の卒業式の後、白血病で他界し、私が二十歳の時(昭和49年)に父が病死したことにより大学を辞めて店を継ぐことになりました。その当時、商売はむいていないと思っていましたが、仕入先や得意先の応援もあり今までやってこられたと思っております。

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掃除ヴォランティア

写真消防団にも入っております

西京商業高校の時にロータリークラブが提唱しているインターアクトクラブに入部して社会奉仕や国際理解の活動をすることになりました。昭和45年大阪万博の時、ボストンに留学もさせてもらいました。そのご縁で今から20年前に京都西ロータリークラブに入ることになりました。今やっているトイレ掃除を門川市長とのご縁も深く、20年くらい前からしております。

門川市長と月1回第2土曜日、学校を回って、子供たち・保護者・先生・地域の人たち100~200人くらいでさせてもらっています。そんな関係で今から10年前に高倉小学校では「親子トイレ掃除」を作ることになり、これまで月1回活動を続けてされています。

写真門川市長と、鍵山秀三郎さんと

門川さん(現市長)が市の教育長をされていたころに教師のためのトイレ掃除「便きょう会」ができました。それまで掃除は業者がやっていたのですが、その時から学校が児童と一緒にトイレ掃除もされるようになりました。その最初の会が高倉小学校で始まり、全市の小学校に広がりました。生徒はトイレ掃除を全然嫌がらないし、自分で掃除した便器はきれいに使うようになります。トイレがきれいな学校の子供たちは学校に行くのが好きになりますし、いい環境下にいると勉強も好きになります。

また、私が代表世話人でさせてもらっています京都掃除に学ぶ会が母体となっています京都新洗組では、毎週土曜日の朝6時から7時まで木屋町三条~四条で街頭掃除も、大学生や地元の人たちと一緒にやっています。

「重太郎」開店へ

もともと、生地問屋でしてきた加藤重でしたが、福島から被災してきた菅野君との出会いがオーダースーツ重太郎をつくるきっかけになりました。

業界新聞の友人から「福島のテーラーの息子さん家族が被災して京都にきているから、いい仕事をさがしてほしい」という相談がありました。

写真菅野さん(左)と加藤さん 右は「京都ハンナリーズ」の制服

いろいろとお仕事を探すことになったのですが、一番いいのは長年やってきた洋服の仕事が一番いいと思い、当社に正社員で入社してもらうことになりました。そこで、以前から構想があった問屋がするオーダースーツの店をつくることになり、祖父の名前を借りて、オーダースーツ重太郎にしました。

彼も今までと同じ仕事ができるし、京都に新しい風を運ぶオーダースーツの店長として頑張ってほしいと思います。

洋服の仕事を通し、地域のことを考え、社会貢献も出来るオーダースーツ重太郎をよろしくお願いします。

菅野晴治朗さん オーダースーツ重太郎店長

福島から京都へ

福島市の実家が洋服店でして、父・兄と一緒に20数年仕事していました。東日本大震災の当時、小学校6年生と1年生の子供がいまして、原発事故で、福島市にも風向きで放射性物質が飛んでくる心配があり、悩んだのですけれど、夏休みの終わりに、家内と子供たちは自主避難という形で京都に来させていただくことになりました。私は福島に残って仕事をして、月に1~2回行ったり来たりしていたのですが、いつまでもこれではどうなるか判らないから、こちらに職があれば移ろうと、大阪の注文服業界機関紙を発行している会社の紹介で加藤社長と知り合い、「うちで働いたら」と誘っていただきました。

子供は、高1と小5になりました。福島で住んでいた所はまわりに田んぼがあり、京都という大きな街にとまどっていましたが、今は慣れたようです。いろいろな方にお世話になり、おかげさまで今に至っています。

オーダー紳士服の魅力

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菅野晴治朗さん

昔は既製服がなく、背広は誂えるのが当たり前だったので、オーダーはどうしても「高い」というイメージですが、工場縫製のものはそんなにべらぼうに高いことはないです。「ちょっと良い服を着たい」「オーダーは初めて」というお客さんもいらっしゃいますし、身体が大きい方やスポーツ選手など特殊な体型で既製服が合わない、あるいは、趣味として服が好きで「イタリアンブランドの生地を着てみたい」といった方もおられます。

私の考える「良い服」とは、着心地が良くて、見た目もカッコいい、当たり前と言えば当たり前ですが、人それぞれの体型に合った着心地の良い服を作りたいです。「見た目」とはバランスだと考えています。体型の特徴や欠点をカバーするように、例えば顔の大きな方がおられたら、ピッタリと合わせると顔の大きいのが目立つので、肩にちょっとヴォリュームを持たせ全体のバランスを取る、というように、体型に合わせ過ぎるとバランスの悪い服になってしまう。

日本に入ってくる高級服地はイタリア・イギリス製ですが、ピンからキリまであります。有名メーカーはニュージーランドなどの綿羊農家と契約して、原毛の段階から選りすぐって、繊維の揃ったものを集めて作り、出来上がった生地は肌触りやしなやかさが一味違う。色や柄もイタリア・イギリスの有名メーカーのものは一味違う感じがします。最近の人気は、柄はチェックで、色目では明るい紺が、スタイルでは全体にゆとりの少ない細身のシルエットですね。福島より京都のお客さんの方が派手なもの、パッとした柄を好まれる傾向はあると思いますね。

以前に比べて業界全体は小さくなり、昔ながらの職人さんも少なくなり、工場での縫製がメインですが、服装へのこだわりで「オーダーしようかな」という人がまだまだおられ、需要があります。お手頃な値で良いものができますし、人それぞれの体型の特徴を見て、着やすくスタイリッシュなものを作らせていただきますので、一度お試しいただければ、と思います。

文 辻野隆雄 (歩いて暮らせるまちづくり推進会議)

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